魚屋の店長の主張
!!常識を疑え!!

お金を稼ぐ事に罪悪感がある

じつはぼくも、お金を稼ぐ事に抵抗があった一人です。

なんかこんな価格で売ってすごい儲かっているんだけど、いいんだろうか。。。

とか考えていたんですねぇ。ああ、青い。。。

さすがに、経営者になった今、そういう考えはなくなりました。

いいものは高く売らないといけません。それでも売れるような仕組みを作るのが経営者の役目。
 
お金を稼ぐ、というのは、社会に価値を残していく、という事なんですよ。

価値を社会に残せる人だと、お金がたくさん入ってくる。

まぁ、もちろん、詐欺とかでお金が入ってきても、価値はありません。だって詐欺なんだもん。実際に価値がないのに、あると言って、お金取るんだから、それは詐欺!犯罪です。

普通の商売の場合、価値を創る事でお金がもらえます。

飲食店なんかもそうです。

玉ねぎ切って、牛肉切って、にんじん切って、カレー作って、はいどうぞ。

500円としたら、500円でおなか一杯になる価値が発生します。

一億円の家を売ったら、一億円の価値が社会に残るんですね。家として。

一億円の家を10個売ったら、10億円の価値を生み出したことになります。

お金を介して、たくさんの価値が世の中に生まれてくるんです。

以前、Yahoo知恵袋で、お金を稼ぐことに罪悪感がある、という内容について、かなり秀逸な回答があったので紹介します。

富という物は、増える物なのだよ。そのメカニズムを説明いたしましょう。

たとえば、世界に二人(A君とB君)しか人間がいないとしよう。そして、1万円札が1枚だけあるとしよう。この時点では、世界全体の富の合計金額は、たったの1万円ということになる。

最初、A君が1万円札を持っていたとしよう。B君はそれが欲しかったので、A君のために家を作ってあげて、A君に1万円で売ってあげた。その結果、今度はB君が1万円札の所有者となった。A君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。この時点で世界全体の富の合計金額は2万円ということになります。(1万円札+1万円相当の家)

次に、A君くんは、ふたたび1万円札が欲しいと思い、B君のために家を作ってあげてB君に1万円で売ってあげた。その結果、今度はA君は1万円札と家の所有者となった。B君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。この時点で世界全体の富の合計金額は3万円ということになります。(1万円札+1万円相当の家が2軒)

こうして、A君とB君との間を1万円札が行ったり来たりするたびに、A君とB君の手元には、様々な不動産や価値ある品物が増えていった。(つまり世界全体の富の合計金額が増えていった)

やがて、二人は良い考えを思いついた。お互いに価値ある財物をたくさん所有するようになったので、それらを担保として1万円札をもっとたくさん作ろうと。(10万円相当の財物を担保に1万円札を10枚作るということ)

その結果、もっと多くのお金が二人の間を行き来するようになり、もっとたくさんの財物が生産されるようになった。

以上です。設定にやや無理がありますが、原理は真実です。世の中の各人が「お金が欲しい!」と思い、お互いに努力し、生産し、サービスを提供し、つまりは経済活動をすればするほど、世の中全体の価値ある品物・価値あるサービス・財産、つまり富は増えていくのです。

要するに、あなたがお金を儲ければ儲けるほど、世の中全体も豊かになっていくのです。あなたがお金を儲けたということは、それに相当するだけの価値を誰かに提供したと言うことでしょう? つまり「A君に作ってあげた家」を創造したと言うことでしょう?

あなたは儲ければならない。なぜならば、それが世の中全体を豊かにすることに直結しているのだから。

たとえば、今中国が急速に経済成長し、国全体の富が急激に増えているのは、先ほどのA君・B君の営みを10億人規模で(それこそ血眼になって)やっているからです。つまり、多くの人々が「お金を儲けよう!」と必死で頑張ると、世の中の富は無限に増えるのです。

今の日本が経済的に縮んで(つまり貧乏になって)いっている理由は、多くの人々が「お金を儲けよう」としなくなったからです。 

この通りだとぼくも思います。

無償奉仕自体も、価値がないわけではありません。

でも、お金を介すると、社会全体に富が生まれやすくなります。

稼いだお金で、また社会に価値を生み出していく。

社会貢献というのはこういう事でも、可能なんですね。 

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