魚屋の店長の主張
!!常識を疑え!!

日韓史 空白の100年を紐解く 第三部 日清戦争後に、李氏朝鮮がようやく独立!なんだけど…

ちゃーろー
ちゃーろー
えっと第二部は、李氏朝鮮の皇帝がロシアを後ろ盾にしようとして、失敗、対外的にも清国の属国に戻ってしまった。一方日本は内政を充実していきながらも、人種差別を実感する、という感じでしたね。
魚屋の店長
魚屋の店長
その後、李氏朝鮮内では、売官っていって役職の売買が横行、一般市民は疲弊の一途をたどる、といった状況に。
ちゃーろー
ちゃーろー
実際のところ、朝鮮民衆の生活ってどうだったんですか?
魚屋の店長
魚屋の店長
まぁ、当時の話は、イギリス人やフランス人らの手記、日記が存在しているけど、極貧かつ不衛生、っていう話が多い。李氏朝鮮はトイレの概念がないとかね。でも、そういう、英国・フランス・清国もひどいもんだった。
ちゃーろー
ちゃーろー
え?そうなんですか?
魚屋の店長
魚屋の店長
トイレの話になるとだいぶ話がずれるけど、大陸じゃ、道端でトイレするのは当たり前だった。それが街中であったとしてもね。一方日本、江戸は世界一きれいな都市。肥料にする技術が発達してたんだろうね。散髪後の髪の毛でさえ売り買いされた。
魚屋の店長
魚屋の店長
あとは、教育だけど、李氏朝鮮では、役人になるには相当な狭き門だった。エリートだけが日本の寺小屋みたいなところにいけた。文字を読める人は3%ぐらいだったといわれている。
ちゃーろー
ちゃーろー
あれ?ハングル文字は?
魚屋の店長
魚屋の店長
15世紀に作られたハングル文字も、あったとはいえ、極一部の人しか使われなかった。現実的に、ハングル文字での古い小説とか無いから、一般的には全く普及していなかったといってOKだろうね。
ちゃーろー
ちゃーろー
へぇぇ。そうなんですねぇ…普通の人たちは大変だっただろうなぁ。
魚屋の店長
魚屋の店長
うん。でも、人間、我慢の限界があるわけで。とうとう、朝鮮半島で反乱がおきるんだ。

甲午農民戦争 東学党の乱

朝鮮半島では、西洋のキリスト教に対抗する東学、という宗教団体が生まれていました。まぁ、西の学問があるなら、東の学問じゃ!という事で、東学。

名前はそのまま東学党というのですが、その東学党が関与した1894年2月に起こった農民反乱です。

事の発端は、とある農村の官僚が税を横領しつづけて、農民の反乱を招くことから始まります。東学党が広くつながった朝鮮内部では、同じような反乱が立て続けにおき、広範囲に広まり、数万人が加わったという資料もあります。

スローガンは、「斥倭斥洋」日本と西洋を排斥しよう!というものなんです。

ちゃーろー
ちゃーろー
日本と西洋を排斥しよう!ってことですか。
魚屋の店長
魚屋の店長
うん。ここに清国が含まれない、というのも、朝鮮文化を物語っているよね。
ちゃーろー
ちゃーろー
そうですよね!なんか、納得いかないですねぇ…うーん。独立を促し続けた日本を追い出そうとか…。大体、支配しているの清国ですよね?
魚屋の店長
魚屋の店長
そうなんだよな。でも、もし、もしよ。日本が鎖国を続けていて、まだまだ幕府が健在だったとして、西洋なり開国に成功した朝鮮、清国が兵を出して日本を苦しめていたら、おんなじこと言うんじゃないかな。
ちゃーろー
ちゃーろー
た・確かに…明治政府で維新が成功して西洋のまねして近代化していたから、朝鮮が古いなって感じるだけで、もし維新がなかったら、同じかも…。
魚屋の店長
魚屋の店長
李氏朝鮮は、まだ冊封体制にいるんだ。日本は中華ではない蛮族、っていう意識。そこに日本や西洋が入ってきた。民衆には特に教育されていないから、日本も西洋も蛮族だ、っていう意識が続いているんだ。だからこの反乱は日本の尊王攘夷に近いね。
ちゃーろー
ちゃーろー
なるほど、だからこのスローガンが受け入れられるのかぁ。
魚屋の店長
魚屋の店長
だから、この甲午農民戦争っていうのは、政府を倒すっていうより、政府よ、汚職をなんとかしろ、そして、斥倭斥洋しなさいよ!っていう農民一揆と考えた方が、わかりやすいね。

この反乱をどうおさえるか、、、李氏朝鮮政府では、農民の怒りももっともだ、と改革しよう!とする内政改革論と、農民を制圧する鎮圧論が出ますが、内政改革といっても重税と横領でなりたっていて、今更改善することなどできません。

で、一方で鎮圧といっても、数千兵の士気の低い兵しかいません。

にっちもさっちもならない中、とりあえず派兵します。

一説によると、800名の鎮圧兵を差し向けたらしいのですが、300名以上脱走し、戦闘もできないぐらい士気が低かったとあります。賃金が低すぎる、自国民に銃を向ける、官僚の腐敗を快く思っているわけがない、といろいろな要因でうごかなかった模様。

どうすることもできない朝鮮政府。国民から突き上げられた政府は、結局、宗主国である清国に、鎮圧をお願いすることになります。借兵を依頼するのです。李氏朝鮮は、すでに、国家を維持することすら難しい状態になってたんですねぇ。

しかし、これが、李氏朝鮮にとっては、完全に裏目に出ます。

清国・日本の両国の出兵が日清戦争の直接の契機に

李氏朝鮮から依頼を受けた清国は、天津条約の約束通り、日本に通知して朝鮮に派兵します。6月1日の出来事。

一方日本ですが、通知を受けて、これまた以前の乱と同じく、駐在日本人を保護する名目で、すぐに朝鮮半島に出兵するんです。前回の乱の時も日本人が殺されているので、出兵しないわけにはいかない。

まぁ、この出兵ですけど、呼ばれてもないのに出兵して占領した、という事を主張している人もいます。

ただ、この歴史の流れを見ると、出さないほうがおかしいぐらいの状況だなぁとも思う。

一部を切り取って、日本軍は悪い、というのは非常に簡単なんですけど、じゃあ、実際の世論や歴史的な背景、社会情勢とか、そういうのを全部捉えて見ないと、簡単にミスリードされることになるいい例です。

明治政府は、6月5日には大本営を設置しまして、清国軍と対峙することになります。

李氏朝鮮としたら、派兵依頼を行ったのは、清国だけで、日本には依頼していないものだから、日本の出兵を聞いてびっくり。そこで、反乱軍の農民とすぐに和平します。これが6月10日。

ちゃーろー
ちゃーろー
えっと、、、清国軍よんだら日本軍もくる、って思わなかったんですかね…李氏朝鮮は…
魚屋の店長
魚屋の店長
本当におもっていなかったんだろうね。結局、すぐに農民と和議を結ぶんなら、呼ばなきゃいいのに、、、と思うんだが。やっぱり、高宗さんは、暗愚だったんだなぁ。と。
ちゃーろー
ちゃーろー
でも、清国ってイギリスの後ろ盾があるんですよね?
魚屋の店長
魚屋の店長
ところが、日本。イギリスとは、この乱の前後に、日英通商航海条約、っていう不平等条約を改定する条約を結ぶんだ。英国とは仲が良くなってきていて、のちの日英同盟につながるんだけどね。
ちゃーろー
ちゃーろー
え?という事は、清国の後ろ盾に誰もいなくなった?ってことですか?
魚屋の店長
魚屋の店長
そうなのよ。日本からすれば、これで朝鮮半島については、目の上のたんこぶである清国とイギリスの影響力を排除して、李氏朝鮮に、親清ではなく親日政府を作らせて、ロシアに対抗してもらうぜっていう前からあったシナリオが実行できるかもしれないわけ。
ちゃーろー
ちゃーろー
うーん。こうでもしないと結局ロシアに朝鮮半島を取られて、日本自体が危うくなる、っていう考え方ですよね。
魚屋の店長
魚屋の店長
そうそう。でも、この時は、実はまだ、明治政府は、「挙国一致で清国と戦争しよう。」という明確な目的をもって派兵した、という事ではなさそうなんだよね。
ちゃーろー
ちゃーろー
え?そうなんですか?

そもそも、この朝鮮半島の内乱は、朝鮮人がやっていることで、日本人が焚きつけたものではありません。清国が出兵したので、これ以上、清の属国化はさせたくないし、実際に日本人に被害がでたら大変だと、あわてて日本も出兵した、というのが実際のところに見えます。

この時の伊藤博文内閣は、朝鮮半島どうのこうの、よりも、内閣を維持できるかどうか、という政局が不安定な時期だったんですね。朝鮮まで手が回らない。でも、外相の陸奥宗光さんが、この乱をうまく使って支持率を上げるために、強硬な清国への開戦論をとなえます。

この時の総理大臣は伊藤博文さん。昔の1000円札だった人ですね。

 

んで、この人が外相の陸奥宗光さん

この外相の陸奥宗光さんは、強硬な開戦論をしきます。ちなみに、この陸奥宗光さんですけど、欧米列強15か国との不平等条約をすべて撤廃させた、カミソリ外相と言われるぐらい、頭がよかった人です。

坂本龍馬はじめ、維新の志士らとの関係も深く、維新から日本を作っていった人の一人。

開戦論を訴えた理由は、日英通商航海条約を推進していて、イギリスが清国を離れる、という事がわかっていたこと、当時の内閣が不安定だったこと、不平等条約の撤廃を推進中ながら、条約改正の細かいところで国内から不満が上がっていて、さらに点数稼ぎをしたかったこと、などいろいろ言われていますが、この人の意見に押されて、開戦前提で軍が動き始めたのは間違いないようですね。

ちなみに、この時の内閣を作っていた人たちですが、ほぼ全員、江戸幕府の討幕、明治維新を20代30代の時に経験した人達ばかりです。そして、この時40−50代。まだ続いているんですよ。維新がね。

1895年にして、まだなお、維新を知っている、肌で感じた人達が、政治を動かしているんですね。

日清戦争勃発 大院君という現国王・高宗の親が出てくる。

さて、李氏朝鮮は、「6月10日に、農民と和議を結びました!清国、日本、ありがとね、反乱収まったからかえってよ」と、両国に伝えるのですが…

ところがどっこい、どっちも、いう事を聞かないわけです。

清国は「日本が撤兵したらね」と言い、日本は、「まだ乱は完全鎮圧してないし、日本人危ないからしばらくいるよ」っていうんですねぇ。

ここで、日本は、清国に提案を行います。

日清両国で李氏朝鮮の内政改革を行うおう、と。

もし、拒絶するなら日本が単独で行う、という条件つきで。

まぁ、もう、この時点で清国に喧嘩売ってます。

当然、清国は「そもそも日本は李氏朝鮮を独立国としてみているのに、日清で内政に口出すとか、内政干渉になるではないか。日本こそ早く撤兵するのが筋だ。」と、拒絶します。清国は李氏朝鮮を属国と思っているのに、どの口がいうんだ?とも思うんですけど、筋は通っていますねw

一方、日本は拒絶されることを前提に提案を行っています。まぁ、これ、喧嘩売ってますから、清国がこんな内容飲むわけないのはわかっていたのです。

周辺国も黙っていなくて、清国拒絶の後に、ロシア大使が日本に向けて、これ以上、朝鮮の内政に首を突っ込むならただでは済まない、というという忠告しています、、、というか脅迫ですね。これw

朝鮮をめぐって、清国・ロシア・日本がバチバチやりあう。こんな時代なんですよ。これを知っておかないと、日清戦争が侵略戦争になってしまう。

ロシアとすれば、結果的に中立国的な扱いだった李氏朝鮮が、日本の国土になるのを避けたかったんでしょう。しかし、このころ、はるか西のドイツとロシアで険悪な雰囲気だったので、ロシア皇帝はこれ以上朝鮮に口出しするな、とロシア外相に命ずることになります。

駐ロシア日本大使がこの命令を聞きつけて、日本に連絡。日本側はロシアはこの件ついては、黙認するという情報が入ったことを受け、日本は、清国・李氏朝鮮については、イギリスもロシアも手出ししない事を確信します。

そういった情勢を踏まえて、日本は、清国への提案がダメになったとみるや、次は李氏朝鮮に、清国軍の撤退させよ。(撤退させられないなら日本が行う)と伝えます。

李氏朝鮮は、反乱は終わっているので、両軍の撤退を訴え、申し入れを拒否。

この李氏朝鮮の回答を日本が受けて、日本は実力行使に出ます。

日本軍の一部が王宮を武力で占拠。皇帝の高宗さんを捕まえ、その親である大院君を担ぎ出し、新政府を樹立。その新政府に日本軍に清国軍の掃討を依頼させるのです。

 

この、王宮を武力で占拠した件。

日本は以前から大院君とのつながりがあったとは言え、そして、ロシアの南下脅威があったとは言え、欧米列強の植民地支配を恐れたとは言え、この瞬間、ここから将来、日本は、第一次世界大戦、第2次世界大戦を経て、敗戦国になる、避けられない運命・宿命になったと思います。

だからしなければ良かったのか?そんな簡単な事は言えないです。

では、仮に、李氏朝鮮をそのままにしておいたら。

おそらく帝政ロシアが、南下して占領していたでしょう。イギリスが清国を支配して、満州をロシアとイギリスで分け合ったでしょう。そしてロシアは北海道から南下。北海道で陸上戦が起き、九州も朝鮮半島から攻撃され、下手すると、どちらも、占領されていたかもしれません。

こんなリスクを日本が請け負う。当時の世界情勢からして、当時の日本国民にも、到底受け入れられるものではなかったでしょう。

日本が米国と戦争する歴史は、明治維新で開国し、朝鮮半島が民族独立できなかった時点で、決まっていた宿命であった、と感じざるを得ないです。

 

さてさて、この甲午農民戦争ですけど、実は、裏で操っていた人がいます。それは、高宗の父親・大院君と言われていまして。高宗、閔妃の体制を崩壊させ、自分が権力の座に帰り着きたい一心で、反乱を指導。その一方で、閔妃を暗殺したいと、日本へ提案しているんです。

この人が大院君さん

実は、この乱の数年前に大院君は、清国の袁世凱に閔妃暗殺を依頼したのですが、体よく断られているんですね。そりゃそうだ。内政が混乱するだけですし。

そこで、この東吾農民戦争を機に、大院君は、日本を頼るわけです。自分が再度、朝鮮の王として返り咲くために。

ちゃーろー
ちゃーろー
なんか、もう、うまくいかないと、全部外国頼みっていうのに、慣れてきましたよ!
魚屋の店長
魚屋の店長
事大主義の文化なんだろうなぁ…

この大院君ですが、この人も曲者なんです。大院君は高宗さんの父親。高宗さん、その嫁さんの閔妃さんと、1972年の日清修好条規から、骨肉の争いを行っています。家族で喧嘩しているんです。

で、家族で解決すればいいんですけど、毎回、毎回、清国や日本、ロシアを頼るんですよ。日本も清国もロシアも、そして一番の当事者・朝鮮人民も、この3人に振り回されたと言ってもいいでしょう。

この3人のうちだれか一人優秀で、軍事力を持っていたら、本当に歴史は変わっていたと思います。

で、話もどしますけど、日本は王宮を軍事力で占拠した後、この大院君を大将にすえ、李氏朝鮮の新内閣をつくり、その新内閣に、日本軍に清国軍の掃討を依頼させることになったんですねぇ。

ちゃーろー
ちゃーろー
なんかほんと、どうしようもないですね。李氏朝鮮…
魚屋の店長
魚屋の店長
大院君、高宗、閔妃の事を調べても、朝鮮人民の生活の向上の話は、ほとんど出てこないんだよね。ここが日本の明治維新と根底から違うところだと思う。
魚屋の店長
魚屋の店長
明治維新じゃ、士農工商をなくしたり、廃藩置県をしたり、鉄道引いたり、電気とおしたり、会社起こしたり、軍隊強化したり、と何かと忙しいんですけど、李氏朝鮮って全然、そういうのが出てこない。

日清戦争からの大韓帝国誕生

さぁ、元皇帝の大院君が日本と内通して作った李氏朝鮮の新政府から、清国掃討の依頼を受けた形を作った日本は、海戦から始まり、8月1日に清国に宣戦布告を行います。同日、清国も日本に宣戦布告。

朝鮮半島で、日清戦争は始まるんです。

清軍ですが、軍の組織が近代化されておらず、傭兵が多数。そもそも清国皇帝、西太后は、北洋艦隊につぎ込むはずだった資金を自分の王宮を立派にするために使い込んでしまい、兵の士気も上がっていません。兵に国を守る意思はなく、不利となれば逃げます。そして、致命的な事に、総指揮官が不在の状態で、日本と戦闘を行います。

まぁ、油断しまくっていたんでしょうね。

一方、日本軍ですが、西洋に習い組織化しており、李氏朝鮮の独立、および、ロシア・清国の脅威を除去することが、ひいては日本を守る、という愛国心は抜群なわけです。そして、まだまだ武士道精神が色濃く残っている時代の兵。

結果、日本は快進撃をつづけ、9月に平壌を陥落させ、清軍は国境まで撤退します。日本軍は、朝鮮半島から清軍を追い出し、10月、難攻不落と言われた旅順を1日で陥落させてしまいます。

まぁ、この辺は日本の歴史なので、だいぶ省略するんですけど、結局は、日清戦争で大勝利となった日本は、下関条約で、清国に宗主国としての立場を放棄させることに成功し、朝鮮の独立を清国に認めさせる事に成功するのです。

さて、だいぶ長くなったので、この辺でいったん終了。次は、大韓帝国の起こりと、その歴史、そして、日韓併合までの歴史の流れを、見ていきたいと思います。

第一部から読んだ方が分かりやすいので、よかったらどうぞ。

あとがき。

これまでの3部を読むと、学校で習ってきた歴史と、なんかちょっと違うな、と思うと思う。なにせ教科書は、この日清戦争の時に「日本は戦争の準備をしていた」とか「中国人・韓国人を差別することもあった」とか、書いてあったりしますので。

しかし、よくよく調べてみると、別に日本は強いわけではなく、清国との戦争も、勝てるか、勝てないか、なんて全然わからないまま始まっているんですよ。そして大義名分は李氏朝鮮の独立。このあたりが教科書には全然記載されていない。

この辺をもっとよく知ると、1900年前後の日本がどうだったのか、また違った見方が出来て面白いと思います。

 

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