魚屋の店長の主張
国際政治

日韓史 空白の100年を紐解く 第二部 李氏朝鮮と事大主義 え?ロシアを頼るの?李氏朝鮮

ちゃーろー
ちゃーろー
第一部は、清国の属国であった李氏朝鮮と中華清国、日本明治政府、との関係性がメインでしたね。李氏朝鮮は開国したいのか、冊封体制を貫きたいのか、よくわからないまま、1880年代、1890年代を迎えてしまう感じでした。
魚屋の店長
魚屋の店長
そう。とにかく、日本、明治政府は列強との国力の差を痛感していて、ロシアやヨーロッパの侵略を食い止めたかった。一方、李氏朝鮮側からは、そんな雰囲気は全然感じない、という情勢だったよね。
魚屋の店長
魚屋の店長
長崎事件後、日本は内政に力を入れます。いわゆる富国強兵。で、その間、李氏朝鮮は何してたかを、紐解いてみましょ。

李氏朝鮮は清国よりも歴史があるから、小中華思想があってだな、、、

前回のブログ、近代史の李氏朝鮮の流れとしては、、

◯日朝修好条規で国と認められるのか!?マジか!国になるか!つって開国トライ

◯でも、金使いすぎちゃって給与未払い。内乱発生、ヤベェって、やっぱり清国に軍隊派遣をお願い。冊封体制の方がいいかもね!って元に戻す。(壬午の変)

◯宗主国の清国さんのおかげで、内乱がようやく落ち着いたかと思ったら、開国派がクーデター。(甲申政変)

◯最後には清国軍も、日本軍もいなくなりましたとさ(天津条約)

ってなっちゃってんですね。

天津条約で日清軍隊はいなくなったんですけど、清国の袁世凱は、朝鮮政府の重職に就いて、内政・外交に強い影響力をもつわけです。

で、これはこれで、実は快く思わないのが李氏朝鮮。

そもそも論なんだけど、李氏朝鮮からすれば、当時の清国も、本当は蛮族なんだよな、、、って思っているんですよ。本音の本音は、自分たちのことを、中華の流れ組む、小中華と思っているんだ。

ちゃーろー
ちゃーろー
は?どういうことですか?中華思想で清国が大好きなんじゃないんですか?
魚屋の店長
魚屋の店長
それがね、清国ってさ、女真族っていう民族の国家なんだよ。漢民族じゃないんだよね。なんで、朝鮮からすると女真族なんか蛮族で、清国は蛮族国家なんだよ。もともと女真族を蛮族って言って馬鹿にしてたんだ。
ちゃーろー
ちゃーろー
え?は?朝鮮ってそう思っていたんですか?
魚屋の店長
魚屋の店長
事大主義っていう言葉があるんだけどね、小を持って大に事える(つかえる)、っていう意味。これができたのが、ずいぶん昔の話で、清国の前の国家、漢民族国家であった明が滅んで、蛮族ってバカにしていた女真族が中華の真ん中になった1636年の話。
ちゃーろー
ちゃーろー
あれ、朝鮮にとっては、蛮族が中央になっちゃうんですね。まぁ1600年代だから、ずいぶん前の話ですねぇ。
魚屋の店長
魚屋の店長
そう。昔、今までバカにしていた連中が、中華になっちゃう。その結果、1400年前後からある歴史ある李氏朝鮮は、我こそが中華の本流を継ぐものである、小中華だ!として、女真族が作った国家、清国の命令をことごとく無視するんだよ。
ちゃーろー
ちゃーろー
明治政府にしたことと、似てますね。にしても小中華って、プライドが垣間見れますね。
魚屋の店長
魚屋の店長
で、無視し続けた結果、清国女真族の国王はブチ切れて、李氏朝鮮に攻め込むわけ。そんで朝鮮はボコボコにされちゃうんだよ。そりゃ負けるわな。狩猟民族でもあり漢民族の明を滅ぼす力あるんだから。
ちゃーろー
ちゃーろー
ふむぅ。
魚屋の店長
魚屋の店長
で、明は忠誠を誓わせるために石碑を作らせる。三田渡の盟約って言って、王族の人質をよこせ、軍隊が必要な場合はすぐに派遣しろ、冊封体制は維持するが明の元号は使うな、毎年貢物を寄越せ、とか、それはそれはやられたい放題される。
ちゃーろー
ちゃーろー
清国も徹底してますねぇ。
魚屋の店長
魚屋の店長
ちなみにその時のことを記録された石碑は今でも残っていて、ソウル市街にあるこれ。
魚屋の店長
魚屋の店長
住宅街にポツンと残っているんだ。清国に三回ひざまづいて、9回土下座させられた、恥辱碑と言われている。2枚あったみたいだけど、もう一枚はどこへいったのかわからない。
ちゃーろー
ちゃーろー
まだ残しているのも驚きですけど、清国が李氏朝鮮に指示した内容も、いやほんと、屈辱的ですね。
魚屋の店長
魚屋の店長
だけど武力じゃ敵わないんだよな。ここで出てくるのが事大主義、小だけど(優秀だから)大を助けよう、っていう考え方なんだ。
魚屋の店長
魚屋の店長
ちなみに、この時の清国の貢物の要求は、他国に比べて10倍ぐらい多い。貢いだ回数も250回を超えることになるんだ。まぁ、恥辱、という言葉が使われているから、屈辱的だけど勝てない、という意思が垣間見えるんだけど…
ちゃーろー
ちゃーろー
うーん。気持ちは大きいけど、実際は敵わないってのは、なんだか悲しいですね…。
魚屋の店長
魚屋の店長
うん。だから、事大主義っていう考え方を用いて、言っちゃー悪いが、誤魔化すんだよな。我こそは中華の本流だ。小だけど大に仕えて、助けてやろう、というのが事大主義と言っていいと思う。

事大主義が根強く残る李氏朝鮮

事大主義。

そもそも李氏朝鮮は、長い歴史がある王朝なんですけど、長い間、ずーーーと、中華の臣下っていう立場を取ってきたんです。

小をもって大に事(つか)ふるは保国の道、

国を保つために、長い物には巻かれろ、という言葉から取っています。

李氏朝鮮は、とにかく、中華、大陸側には頭が上がらなかった。朝鮮半島は、土地は狭い、人口も少ない、軍隊の数も少ない、とナイナイずくし。

歴史的にみても、中華には勝てない、モンゴルにも勝てない、秀吉にも勝てなかった。ちなみに秀吉の時も、明に援軍を依頼しています。

李氏朝鮮は、他国と戦争して勝つ、つまり条約を結んで賠償金を取る、という事をしたことがないんです。国じゃないしね。

李氏朝鮮には、この事大主義の考え方が根強くあるので、天津条約なんかされちゃうと、大がいなくなっちゃった!どうすりゃいいんだ?となります。大きな後ろ盾がないと、国家運営ができない、ということに。

DNAに組み込まれている事大主義の考え方がそうさせるのか、そんな李氏朝鮮、ここまで来てなんと、朝鮮皇帝、高宗さんは、帝政ロシアに近づいていきます。

軍事顧問をロシア人に 朝露密約

天津条約で、軍事顧問は日清両国から朝鮮に出さないことになった結果、清国は、李氏朝鮮の外交顧問に、ドイツ人のメレンドルフさんを置きます。

ちゃーろー
ちゃーろー
今度はドイツ人が出てくるんですか。
魚屋の店長
魚屋の店長
まぁ、中立といえば中立国だしね。この人は、通訳の天才で、中国語堪能。もともと民間人で上海で働いたんだけど、飽きて天津に行って中国の貿易の手伝いしてたんだ。そこで言葉喋れるから中国側から信頼されていたの。
ちゃーろー
ちゃーろー
言葉ができるって、当時じゃ珍しかったかもしれませんね。
魚屋の店長
魚屋の店長
そ・そ。で、清国はこの人を李氏朝鮮の顧問に置くんだ。

で、このドイツ人、メレンドルフさんなんですが、韓国語もすぐに覚えちゃって、皇帝の高宗にすごく気に入られるんです。そして、しばらくすると、李氏朝鮮の独立を考え始めます。

メレンドルフさんは、李氏朝鮮の皇帝、高宗さんとも、飯食べながら、高宗から、「清国の属国となるのもよくない。独立したいんだけど、どうすればいい?」とか相談があったんだと推測しますけどね。

そこで、メレンドルフさんなんですが、清国、日本の影響力が強すぎる朝鮮半島の政治力学をぶっ壊そうと、ロシアに近ずくんですね。そして、露朝密約を行おうとするのです。当然、高宗さんの許可もあったはずです。

で、そのロシアへの提案なんですけど、「不凍港のある朝鮮の港を貸す代わりに、軍事顧問と軍事的な後ろ盾をしてほしい」という内容だったんですよ。

ちゃーろー
ちゃーろー
はぁ?清国も日本も一番恐れている事をしようとしたんですか?
魚屋の店長
魚屋の店長
李氏朝鮮の高宗もこれに乗ったということにも驚きだけどね。事大主義もここまでくるか、と。ただ、忘れちゃならないのが、メレンドルフは、白人なんだよね。アジア人が抱く帝政ロシアのイメージと、ドイツ人が抱く帝政ロシアのイメージって、全然違ったんじゃないかなぁ、と推測はできるよね。

もちろん、こんな事すぐバレるわけで、清国側は怒り心頭。メレンドルフさんはすぐに解雇されます。これが1885年の話。

同じ1885年、日本は明治政府初の内閣を作り、内政を充実させています。

第2次朝露密約 これもバレる

そして翌年。舌の根も乾かないうちに、という表現がぴったりなんですが、2回目の密約工作を行います。

ちゃーろー
ちゃーろー
え?一回めバレてまたやるですか?
魚屋の店長
魚屋の店長
李氏朝鮮の皇帝はどうしてもやりたかったんだろうね。

1885年に密約がバレて、メレンドルフさんは失脚するんですが、諦めきれない高宗さんは、今度は書簡をロシアに送ります。第3国の紛争があったら、軍隊派遣よろしく!っていう手紙を送っちゃうんです。

でも、これ、あろうことか、高宗さんの臣下が、清にバレたらやばい、という事で、清国に密告するわけですよ。ちくるんです。

ちゃーろー
ちゃーろー
まぁ、諦めてないのもびっくりしますけど、臣下がチクるってのも、日本じゃ考えられないですね。日本的にいうなら、天皇が手紙送ったのを、天皇が快く思わない敵国に、臣下が密告するんでしょ?
魚屋の店長
魚屋の店長
もう、王朝の体をなしてないよね。やっていることも前近代的だし、どうしてロシアが李氏朝鮮を守るのか、っていうことを全然考えていないとしか、いえない。暗愚だったという他ないよなぁ。

密告された清国は、帝政ロシアに、事の真偽を打診するんですけど、ロシアはあっさり認めましてですね、こう答えます。

「受け取ったけど、軍隊とか出さんよ」、って

ちゃーろー
ちゃーろー
高宗立場ないっすね…
魚屋の店長
魚屋の店長
帝政ロシアは清国と揉める=イギリスと戦うって事だしね。朝鮮半島はほしいけど、まだ軍事的にできなかったんじゃないかな。言っても眠れる獅子の清国を怒らせるのもよくない。

流石に2回目ともなると、清国は、高宗を廃帝にするなどの動きに出ますが、天津条約がありますから(軍隊出すなら日本に通知しないといけない)軍を派遣するわけにもいかず、このままなんとか収めていきます。

清国からすれば、日本から守ってやった李氏朝鮮、な訳ですよ。日本側も驚く。そして、この話は、各国列強に当然伝わるわけで、朝鮮王朝の高宗ってどうなってんだ?となるわけです。

この動きの後、李氏朝鮮では、目立った国際的な動きはありません。この2回の出来事で、なんや、結局李氏朝鮮と言っても、清国が了解を出さない限り、外国と条約結べんやん、って認識されるわけです。

国じゃないから、他国も何もできないですよね。シンプルです。

せっかく日朝修好条規で、日本はわざわざ大朝鮮国って条文に書かせて、国際的に、国として認めさせようとしたんですけど、結局、清国に頼ることで、その道を自分で潰した、としか言えないわけです。

しかも、ここまで、立て続けに起きた反乱で、王朝の体をなしていない国家。文字通り右往左往する皇帝、高宗さんに威厳もへったくりもないわけです。国内で何が起こるか推し知るべし、これまで以上の収賄、汚職、がはびこっていき、10年間で国力がボロボロになっていき、日清戦争につながる民衆内乱の火種になっていきます。

ちゃーろー
ちゃーろー
えっと、まだ韓国併合までいかないんですね。
魚屋の店長
魚屋の店長
わいもこんなに長くなるとは思わなかったけど、知らん事だらけで、なかなか面白くてね。つい詳しくなってまうw

一方日本は、というと

李氏朝鮮が内政も外交もメタメタになっている時には、日本は、というとWikiから引用しますけど。

1884年(明治17年)
群馬事件、加波山事件、秩父事件、甲申政変、大同団結運動
1885年(明治18年)
大阪事件、銀本位制天津条約 (日清)、内閣制度が発足。
1886年(明治19年)
ノルマントン号事件
1887年(明治20年)
保安条例
1888年(明治21年)
海軍大学校開設。日墨修好通商条約締結。香川県が愛媛県より独立。
1889年(明治22年)
大日本帝国憲法発布。衆議院議員選挙法・貴族院令など公布。市制・町村制が施行。
1890年(明治23年)
第1回衆議院議員総選挙(翌1891年3月7日閉会)、第1回帝国議会召集『教育ニ関スル勅語』発布、府県制・郡制が執行される。年末より「明治23年恐慌」始まる。
1891年(明治24年)
大津事件、足尾銅山鉱毒事件、濃尾地震
1892年(明治25年)
第2回衆議院議員総選挙[注釈 15]。
1894年(明治27年)
第3回衆議院議員総選挙[注釈 16]、第4回衆議院議員総選挙[注釈 17]、甲午農民戦争(東学党の乱)→日英通商航海条約→日清戦争 (- 1895年〔明治28年〕)。

ちゃーろー
ちゃーろー
へぇ、香川県が愛媛県から独立するんだ!
魚屋の店長
魚屋の店長
え?そこ?そこなの?www この年表で、日本は外交よりも内政・教育と軍の強化に努めたことが垣間見えるね。まぁ、ここで注目するのは、社会の雰囲気を感じるには、ノルマントン号事件、っていうのはちょっとポイントかもね。
ちゃーろー
ちゃーろー
ノルマントン号事件?なんか聞いたことあるような、ないような…

ノルマントン号事件とは、和歌山沖で英国船が沈没し、船長以下水夫の英国人のほぼ全員が、救命ボートに乗って近くの漁村で助けられるんですけど、貨物船の乗員だった日本人、インド人、中国人のアジア人25名が全員水死、誤って海に落ちたイギリス人一人を除き、白人26名は全員助かる、という事件が起きるんです。

これにはさすがの日本人も、いやいやいやいや!、人種差別やろこれ、イギリス人は日本人とアジア人全員を見殺しにして、自分たちだけ助かっただと???と大いに騒ぎになります。

で、当時は、不平等条約によって領事裁判権、というのがあり、英国人の裁判は、在留英国大使が裁くことになっていましてね。

その英国人が裁く裁判で、船長の陳述は、「逃げろといったんだけど、英語が伝わらずに全員船の中に帰ってしまった」といいまして、在神戸英国大使は、そうか、なら無罪、って、全員無罪になった事件なんですわ。

下の産経新聞が思いっきり調べていますので、詳しくは下を読むとわかります。

<div class=”concept-box5″><p> 英船ノルマントン号の沈没(上)白人船長らはなぜ日本人乗客25人を見捨てたのか…</p></div>

さすがの無罪に日本中大騒ぎ。国民の怒りは収まりません。結局、井上薫がちょっと待った、と物言いをつけて、横浜で再度、英国領事による裁判にこぎつけますが、結局、禁固三か月で終わり、っていう事件なんです。

不平等条約と人種差別、そして、国力の差。

当時の日本は英国と戦うなどありえない状態で、やっぱりなめられていたんですね。この事件で、日本国民は、白人はアジア人らに人種差別がある、ということを認識することになるんです。

こうやって、鬼畜米英、というスローガンが成り立つ土壌が作られていくんですね。歴史の流れです。

で、今回はここまで。

次の10年で、日清戦争と日露戦争が出て来ます。さぁ、一般的には暗黒の1900年−1910年、しかし、調べれば調べるほど、到底避けることのできなかった戦争にしか見えない、この2つの戦争が、朝鮮半島に大きな影響を与えます。

この辺を魚屋はどう料理するのか、乞うご期待w

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