魚屋の店長の主張
国際政治

日韓史 空白の100年を紐解く 第一部 維新から明治20年ぐらいまでの李氏朝鮮を解説

韓国ってどうしてあんなに反日なのでしょうねぇ。

同じく日本が統治した台湾は、親日なんです。

インドネシアもマレーシアもタイもベトナムも親日です。マレーシアはルックイースト政策、日本を見習え!とまで言いました。

言えば、中国だって、中国残留孤児、と言って敗戦後に様々な理由で中国に置き去りにされてしまった日本人の子供たちを、引き取って育てていたりします。

大連にある大連駅は日本の上野駅がモデルだったりしても、壊されたりしていません。

ちなみに、日本軍は、当時の李氏朝鮮軍とは、戦争をしていません。そればかりではなく、韓国併合後は、朝鮮兵も日本兵と同様に一緒になって第二次大戦で戦闘を行っていたります。

うーん。これでは、韓国の言う、日帝暗黒時代って、なんだったの?ってなる。

どうしてこうなった?を紐解くには、明治政府と李氏朝鮮との付き合い、当時の清国、ロシア、イギリス、フランス、アメリカと、かなり入り組んだ国際情勢を知らないと、わけがわかりません。

その辺り、「教科書に載っていないこと」を、これまたちょっと長いんですけど、わかりやすく解説したいと思います。

日韓併合以前の李氏朝鮮時代

大韓帝国を併合した、日韓併合から考えても、何もわかりませんので、それ以前からその時の社会状況を感じながら考えないと、よくわかりません。

◯日本がなぜ韓国を併合したのか

◯そんな簡単に朝鮮半島を併合したのか

◯併合がどうして現代の大韓民国では悪になったのか

よくわからなくなるんですよね。

まず、日本は先の大戦で、知らないといけない事なんですけど、日本軍が、朝鮮国に出兵して朝鮮人と戦争して、統治した訳ではありません。

ここ大事。

日本は韓国から併合を依頼され、国際的にもそれを認められ、国際法に基づいて調印して統合した、というのが歴史的な事実です。なので、大日本帝国軍と大朝鮮軍が、戦闘をしていないのです。

流石の韓国も、大戦で日本軍と戦った死亡者数がどれくらい、とかいう話が全然ないのは、当然です。戦争していませんからねw

無理やり戦争した事にする場合は、豊臣秀吉まで遡らないといけないのですw だから遡るんでしょうね。

併合前の朝鮮半島は、李氏朝鮮と言って、李氏という一つの家族が統治していました。主要登場人物は閔妃(びんひ)さん、と皇帝の高宗(こうそう)国王。

この李氏朝鮮ですが、なんと1392年から1910年まで続く、それそれは歴史ある王朝なんです。ざっくり500年も続いているんですよ!江戸より長い!

その李氏朝鮮は、当時の中国、清国の属国、と言う扱いでした。これ、何を意味するか、というと、完全な国家と言えるかというと、言えないのです。独立していない国家、というものすごく中途半端な状態が500年続いているんですねぇ。

この中華にずっと頼りっぱなしの歴史の長さは、ちょっと気にしておいてください。

1000年ぐらい続く冊封関係と言うんですけど、中国を中心とした、地方の一つの豪族、自治を許された緩い中華文化圏に入ってますよーと言うイメージなんです。

当然、小学校とか、そういうのありません。貴族と平民、それ以下の奴隷、という社会構造なんです。まぁ、寺小屋制度で庶民に教育していた江戸幕府なんて、世界でも類例なしの教育国家だったんですが。

ちゃーろー
ちゃーろー
李氏朝鮮、聞いたことありますねー。国、って訳じゃなかったんだ。
魚屋の店長
魚屋の店長
あくまでも中国に属する国って感じで、自治はあるし、他国から攻められると、清国軍も一緒になって戦うけどね、って感じ。今でいうなら、ちょっと無理やり当て込むんだけど、米国の州のイメージ。州兵もいるし警察権、政治もあるよね。

そんな李氏朝鮮なんですが、1850年前後、欧米列強がアジアに進出。

当然、李氏朝鮮も、欧米列強から植民地にされそうになります。

フランス軍から攻められて島を占領されたり(その後奪還)、イギリスから攻められて島を占領されたり(その後撤退)、アメリカが来て、一戦交えて追い返したり、と忙しいのです。

で、この朝鮮が忙しい同じ頃に、日本では、明治政府が出来ます。いわゆる明治維新です。

新政府、明治政府は、江戸幕府の時も、国交のあった李氏朝鮮に信書、手紙を送るんです。内容的には、大政奉還を行いました。江戸幕府はなくなり、明治政府となり、鎖国をやめ開国しました。一緒に開国して頑張りましょーって。

しかし、何と、李氏朝鮮は、この信書を受け取らなかったのです。李氏朝鮮から江戸幕府に送った印鑑じゃないとか、日本の天皇は清国皇帝と同列じゃない、同列になったら我が朝鮮は日本より格下になるではないか!とか、色々な理由をつけました。

つまり、李氏朝鮮は明治政府を認めなかったのです。数年も。今で考えると、国際的には、相手国の信書を受け取らない、っていうのは国として認めない、国交しない、と言うことに通じるんですけど、李氏朝鮮は、まだ、冊封体制の中にいるので、そんな事知りません。

そりゃ500年も続いてますからね。染み付くどころか染まりきってます。

李氏朝鮮からすると、東の蛮族がなんか言っとる、清国と同じ皇帝だなんて、なんてバカなことを言ってるんだ、ぐらいにしか思ってなかったかもしれませんねw しかもそんな時代なんです。

当時の世界観としては、無理矢理にせよ開国するのが世界的な主流で、鎖国して外国人を排斥すると言うのは、植民地のいい口実になるわけなんです。封建体制に数百年も浸って来た李氏朝鮮は、国際的な流れが見えてなかった。

(欧米列強、ロシアからもボコボコにされている)清国に頼っていればいいんだ、と言う考え方が抜けなかったのです。(かっこ内の情報が見えていなかったわけです。)

あげく、最後には、釜山にあった日本公館の前に、「日本は無法の国」、と文章をあげたりして、、、なんか実際、国民性って変わらないのかなーと思ったりするんですけどw

まぁ、朝鮮から言わせると、これまでの江戸幕府は対馬藩が外交権を持っていて、対馬藩の為に釜山に作った日本公館なんだけど、明治政府とか言うこれまでの秩序を乱す奴が突然、江戸幕府を倒し対馬藩を外して、しかも開国しろとか、何言ってんだ、馬鹿野郎、この蛮族が!って感じだったんじゃないかな?と思います。

しかし、これに、明治政府の立役者、西郷隆盛らがお怒りになるわけですよ。なんじゃそりゃ!と。こっちは国書を持って江戸幕府と同じように貿易しようぜ!って言ってるんだぜ、それを受け取らないばかりでなく、無法の国だと!と。

近代化した明治政府と、前近代の李氏朝鮮。ウマが合うわけありません。

そこで板垣退助、後藤象二郎らは、征韓論、を言い出します。国際法を知らない前近代の朝鮮など、武力で開国させようと。西郷隆盛に至っては、俺が朝鮮への大使になって、開国させてやる、と言いだして、実際、政府と交渉し、閣議決定させて、天皇の決裁までとりました。

まぁ、この後、岩倉具視が、天皇の決裁までとった決定を、根回してやめさせるんですけどね。西郷隆盛からすれば、明治政府を私物化したと言ってもいいぐらいの決定に、怒り心頭、鹿児島に帰っちゃって、その後の西南戦争に繋がるんです。

ここで、李氏朝鮮が開国していたら、清国も同じアジア人同士、白人に対抗しよう、としていたら、西郷隆盛も生きてて、だいぶ歴史が変わっていただろうなぁ、と思いますが、歴史のif。

中国朝鮮からすれば、日本は冊封体制外のいわば蛮族と言う位置付けだったので、それができなかったんでしょうね。

ちょっと話がづれましたけど、当時の日本、明治政府からすれば、国防という観点から、朝鮮半島が、欧米の植民地になることだけは避けなければならなかった。北にロシアがいて、半島にヨーロッパがいるとか、あり得ないんです。

日本からすれば、朝鮮は少なくとも、日本ぐらいには開国して、朝鮮国家となって国を守ってくれ(日本の為にも)というのがあって、信書を受け取らず、開国しない朝鮮に対して、空砲を打ったり、測量したり、港で薪やら水やらくれとか、威圧しながら朝鮮にせまる事になります。

このやり取りは、征韓論の影響を受けています。この征韓論は、1900年代とごっちゃにすると、とんでもない勘違いをします。未だ空軍とかなかった時代の征韓論です。せいぜい、船で脅しをかける程度。

日本がアメリカにやられた、黒船の二番煎じを行います。これ。もうちょっとなんかあったやろ、、とも思いますがw

で、そうこう圧力をかけていたら、江華島事件、と言うのが起こります。江華島で海軍(と言っても、木船みたいな船ですけど、上陸して測量して、小競り合いが起きます。

どうです。これが征韓論です。

まぁ、おおらかな時代ですから、どっちも現場が頭に血が上ってやったことやろ、って事で大した問題にならなかったようですけど、流石に朝鮮側もこれに刺激されて、開国派がでてきます。ここも黒船来航後の日本と一緒ですな。

この朝鮮開国派なんですけど、外国人を排斥する攘夷はやばいよやばいよ、開国しないと滅ぶよ、という思想で勢力を伸ばし、この江華島事件の1年後に、日本との条約にこぎつける事になります。

その条約は、日朝修好条規(1876年 明治9年)と言われるもので、ざっくり朝鮮を独立国家として清国に認めさせる、と言うのが大きな目標で、実際にこの紛争が起こった江華島で調印されました。

日朝修好条規には、大朝鮮国という表記がされた事で、欧米も注目。大朝鮮国という国が、この条約を機に、国際的に存在することを意味することに、一応、なったんですね。

でも、これだけでは終わりません。李氏朝鮮とこうやって条約を結んだことが、日清戦争の遠因になり、日韓併合までの、歴史的な流れになって行きます。

壬午の変(じんごのへん)が日清戦争の遠因に

壬午の変っていう事件が朝鮮で起こります。1882年、明治15年です。

日朝修好条規の6年後です。

李氏朝鮮ですが、開国派だった閔妃さんは、日本と日朝修好条規のあと、王朝内で勢力がまして、開国派は軍備を近代化させるのですが、あまりに急に行った為、財政難に陥り、旧軍人に給料が払えなくなります。

もともと外国人排斥、攘夷だ攘夷だ!と叫んでいた軍人は、怒りが爆発。

その矛先を朝鮮政府と日本に向けたんです。開国派が流行りに乗って、近代化とかしなければ、給料もらえた、と思っているんだから。

反乱軍は、朝鮮政府高官を殺害、日本大使館にも押し入り軍人を殺害、と事件を起こしました。これが壬午の変。

反乱軍も後先考えていません。やっぱ攘夷や、清国や、という感じです。

この時、朝鮮はどうしたか、というと、自国の兵士の反乱ですが、朝鮮皇后の開国派のはずの閔妃(びんひ)さんは、なんと清国に軍隊を派遣するよう依頼します。いざとなったら宗主国に庇護を求めてしまうのです。

開国派なのに旧宗主国に援助を求めるって、全然筋が通ってないし、その後の事も全然考えてないんですけど、この時代、女性に教育を受けさせる、という考え方は、儒教の考え方が強いアジアにはなく、致し方ないのかもしれません。

一方で、日本は朝鮮半島にいる日本人を守る為に軍隊を派遣したんですが、陸続きの清国軍が、いち早く、乱を平定してしまいました。

この辺が冊封体制にいた朝鮮の悲しい所。自国の内乱を他国の軍隊を使って平定するとか、やっちゃならん事なんですが、どこまでも属国意識が付いています。DNAに刻み込まれている。

清国は、宗主国を捨てて開国に向かった朝鮮に、一定の影響力を及ぼすため、清国陸軍を朝鮮に駐留させます。

清国とすればいうことを聞いてくれる属国を手放すわけにはいかないわけです。白人には負けるけど、これまで500年も守ってやった朝鮮が何やってんだ、という感じ。

一方で、日本は日本で自国民が殺害されていますから、簡単に軍を引き揚げるわけにもいきません。まして、清国軍がいるなら、なおさら。フランス、イギリスと負け続けの清国の影響力を排除していかないと、清国も朝鮮もヨーロッパ人やロシアの植民地になるかもしれません。

そうなると日本も大変です。

なので、日本、明治政府も陸軍を数千人、駐留させる事にしました。これで朝鮮半島には、清国軍と日本軍が一緒にいる、という状況になったわけです。それまでの数百年間、日本軍は朝鮮にいなかったのに、です。

この時点で、明治政府、日本が、清との戦争のために、軍を駐留させたとは断言できません。結果を知っているので、これが遠因になったとはいえますが、その当時は清と戦えるほど、日本の軍事力はなく、財政もままならなかったからです。

実際、日朝修好条規の時も朝鮮には、最大限、軍事的圧力を高めるが、ロシアや清国の介入を防ぐ為に絶対に戦争をしてはならない、という状況でした。

なにせ、明治維新後20年も立っていないわけです。そんな急に強くなるわけない。

歴史というのは、答えを知っていて経過を見ると、まるで清と戦争する口実として、この事変があったように映りますが、当時の財政やら軍備、情勢を踏まえて歴史を見ないと、それこそ右翼になったり左翼になったりします。

明治15年、この時点で明治政府は、清国と戦争するとか、微塵も考えていませんでした。

朝鮮開国派のクーデター準備

さぁ、先ほど、さらっと出てきた閔妃(びんひ)さん、ですけど、もともと開国派だったんです。ただ、旧軍人が反乱を起こしたので、寝返って清国についたんです。開国派だったけど、やっぱ無理だわ。冊封体制に戻るかって。

しかし、聞き捨てならないのが、国内の開国派。金玉均(きんぎょくきん)や朴泳孝(ぼくえいこう)らの派閥。

ちゃーろー
ちゃーろー
ふーん。なんか流れ見てると、日本もなんか最初から強い訳ではなかったんですね。
魚屋の店長
魚屋の店長
まぁ、そりゃそーだな。ほんの15年前まで江戸時代だったんだしw
ちゃーろー
ちゃーろー
登場人物が多くなってきましたね。。。えっと、キンタマヒトシと僕 狩野英公でしたけ?
魚屋の店長
魚屋の店長
ガハハw まぁ、なんか知らんけど日本の近代史って暗黒の歴史というか、おどろおどろしい雰囲気だから、そんな感じで明るく覚えていいんじゃね?そのキンタマヒトシ君なんだけど、頑張るだよw

で、キンタマは、いやいや!今の今まで開国いうてたやん!って思うわけですよ。

でも、結局清国が出てきた。開国・近代化もご破算か、、、と。

金は、壬午の変の後に、日本に行き、開国後の日本を見てきます。そこで日本の政府高官とも人脈を作るんです。福沢諭吉、大隈重信、渋沢栄一ら錚々たるメンバーと交友を結んで、帰国。やっぱり開国しないと朝鮮はダメになる!と思うわけです。

そんな時なんですが、清国とフランスの戦争(今のベトナムで戦闘)が激化します。壬午の変の2年後。明治17年。

フランス海軍は清国海軍を壊滅させるんですが、清国は朝鮮半島近くにいた清国海軍と朝鮮にいた陸軍の一部をベトナム領に回す事になりました。

金ら開国独立派にとっては千載一遇のチャンス!と思って、日本よ!今、まさに、クーデター起こすから、協力してよ!と日本に訴えるんですね。

明治政府も、清国の影響を朝鮮から排除したい。金の事もよく知っているわけです。仲がいいのですよ。なので、協力はするけど、清国とフランスの戦いの結果も見ながらね、すぐ戦争が終わるかもしれないしね、とつかつ離れずという感じで接する事になります。

なにせ、明治政府も、資金がない、軍備も整っていない、言えば、憲法もできていない内政がちゃんとやれてないんです。朝鮮は朝鮮で、自分で国になってちゃんとやってね、というスタンス。

そんな中、勝つか負けるかわからん、朝鮮の政争に首を突っ込めないですわ。

しかし、金からすれば、明治政府の反対しなかったし、よし、閔妃を倒す、というか殺すのなら12月の晩餐会だ!と、今でいうクーデターの準備をするんですが、キンタマの運もここまで、クーデターの直前にフランスと清国が戦争をやめて和議をするんです。

そうなると、清国としてはフランスに割いていた兵力を朝鮮半島に送ることができる。となると、今の明治政府に勝ち目は無い。井上馨ら明治政府の交換は、やめやめ!という事になったのですが、暗殺計画をしていた金さんは、駐朝鮮大使を味方につけ、無理やりクーデターを実行します!

甲申政変(こうしんせいへん)

この金玉均の反乱を甲申政変と言います。

金さんは、まずは政府要人がいる晩餐会の建物に放火を行います。反乱軍の仕業だ!といいフラカして王宮に詰めかけ、朝鮮国王の高宗に会おうとしますが、なかなか合わせてくれません。

ちなみに放火は失敗しており、しょうがなく、近隣の民家に放火しています。閔妃一派は全然生きているわけです。詰めが甘すぎです。近隣の民家はいい迷惑です。

しかし、騒ぎが聞こえた国王は、金さんを迎え入れます。ここで金さんは、清国軍の反乱で放火されている、と嘘をつき、日本陸軍を呼ぶように依頼。国王は、驚き信じて、日本大使館に、「国王の依頼」で王宮への日本軍の派遣を依頼することになるんです。

待ってましたとばかりに待機していた日本軍150名(すくな、、、)は、王宮へ移動。王宮軍と日本軍で王宮を守りにつけ、閔妃率いる政府軍が反乱を起こした事にして、新政府の樹立の宣言を行う訳であります。

ここで、一旦クーデターは成功したように見えるんです。

しかし、いやいや、朝鮮政府軍が全然減ってないじゃない、要人も死んでない、清国が黙っている訳ないじゃない、と魚屋でも思う訳で、ものの見事に失敗します。

当然、閔妃さん率いる朝鮮政府側も黙っていません。放火は未遂に終わり、生き残っていましたんで、いやいや、日本軍が反乱を起こして王宮を占領している!清国さん助けてー!と清国へ依頼する訳です。

なに!日本軍の反乱か!と、宗主国である清国としても見逃すわけにも行きません。

依頼を受けた袁世凱率いる清国軍は、150名しかいなかった日本軍率いる王宮へ、1300名の兵力で突入。ちなみに、朝鮮王宮軍は、清国兵士とかと叩ける装備なんてなくて、逃げ出す始末。

結局、国王を守る大義名分を持つ日本兵150名は1300名の清国軍と戦います。資料によると、日本兵士死者1名、清国兵士の死者は53名、だった模様です。

1300名の清国兵も、寝耳に水の反乱で、士気が高いわけでなく、兵隊といえどもいきなり人を殺すなんて、やりたくないわけです。で、結局、王宮に火をつけて、一部は、非武装の日本人街へ突入。一般人相手に、掠奪、乱暴を尽くした、という記録になっています。

王宮内にいた日本兵、および、日本大使館職員も、数には勝てず、命からがら港へ撤退。日本人をかくまい、金玉均さんも船に乗せ、そのまま長崎に帰る事になりました。

ちゃーろー
ちゃーろー
結局、成功しなかったんですね。
魚屋の店長
魚屋の店長
この政変は調べると、ほんと細かく資料が残っているんだけど、結局金さんは、結果的に、明治政府のいうことを聞かずに無理やりクーデターを行って、失敗したことになり、明治政府の信用も無くしてしまう事になるんだ。

 

明治政府、井上馨の助言を無視してクーデターを起こした金さんは、一旦は日本に亡命するも、日本の朝鮮に対する影響力もなくなってしまい、政府からは冷遇される事になります。

結局、民衆不在でクーデターを起こしたことがまずかったんですね。清国を後ろ盾にするか、日本を後ろ盾にするか、しか見えていないこと。朝鮮人民の意思、というのが、全く出てこないこと、ここが反乱が失敗した根本的な要因なんでしょう。

ま、民衆といっても、教育を受けていない民衆との文化的な違いも勿論あるんですけどね、この辺が日本の明治維新と違うところです。

この甲申政変が発生したことで、日本の朝鮮に対する影響力は、激減する事になります。

袁世凱率いる清国軍は、王宮を占拠。宗主国として、実質的にも実力的にも朝鮮を支配する事になります。

一方で、日本側ですけど、日本側の言い分は、クーデターとか知らない!朝鮮国王の要請で王宮にいき、国王を守ろうとしただけだ!清国軍は、日本の民間人からも掠奪乱暴の限りを尽くすとは、どういう事だ!という事で、外交戦へ舞台は移る事になるんです。

まぁ、ただ、苦しいのは日本側ですわな。普通に考えてw

甲申事変後の外交戦

ちゃーろー
ちゃーろー
いやーなんか色々もめたんですねー朝鮮半島
魚屋の店長
魚屋の店長
宗主国としての力を削がれたくない、清国と、なんか流れで朝鮮半島に影響を持つようになってきた日本、明治政府とガチャガチャやってる、という構図なんですわ。
ちゃーろー
ちゃーろー
李氏朝鮮の意思があんまり見えてこないですね。
魚屋の店長
魚屋の店長
そうだねぇ。言うなれば江戸幕府みたいなもので、歴史の流れに翻弄されている、という感じだよね。
ちゃーろー
ちゃーろー
しっかし、これ、どうやって収めるんですか?
魚屋の店長
魚屋の店長
明治政府は、まずは日本の国論を統一したんだ。マスコミを使ってね。

明治政府は、駐朝鮮大使がクーデターに加わっていたことなどは一切報道機関には連絡せずに、李氏朝鮮国王の要請で王宮を守るため勇んで向かった日本兵に対し、清国軍が王宮に攻め入り、日本人を虐殺し、放火し、日本大使館まで焼かれた、という事だけを通知したんですね。

それだけしか新聞は書かないもんだから、そりゃ民衆は怒りますよ。それで国内の論をまとめた後、清国には、日本人が虐殺された事と大使館を焼かれた事だけを焦点にして、賠償金を求めることになったんです。

ただ、明治政府は、まずは朝鮮側と交渉したんです。朝鮮は国家である、という大前提は壊せない。

で、李氏朝鮮には、日本兵を呼びつけた朝鮮国王の謝罪、賠償金の支払い、大使館の再建費用を朝鮮側(実質的に清国)に求めて、一方で、駐朝鮮大使を更迭する事で妥協する、漢城条約を結んで、日朝の関係を収める事に成功します。

その後、実際に交戦した清国との交渉に移ったんですね。

明治政府から清国側へは、日本人虐殺の賠償金請求、と朝鮮からの即時撤退という要求をぶつけんですが、清国側は、クーデターを起こしたのは日本側の後ろ盾があったからで、日本人を虐殺したのは朝鮮軍である、と言いこれまた一歩も引かなかったんですねぇ。

でも、清国にも痛いところがあって、フランス軍と戦闘中で、日本がフランスと手を組むことを嫌がったんですね。清国の後ろ盾の英国もそれは危惧していて、早めに交渉を終わらせる事になったんです。

天津という場所で行われていましたので、天津条約というのが結ばれました。で、決められたのが3つ。

日清両国軍隊は朝鮮に駐留しないこと

軍隊をさし向ける場合は、両国ともに通知を行うこと

軍事顧問は、日清両国から派遣せず、第3国から派遣すること

で、一応、この条約は効力を発揮して、これから10年間、朝鮮への軍隊駐留はなくなることになるんです。

ちゃーろー
ちゃーろー
なんかもうぐちゃぐちゃですねwww
魚屋の店長
魚屋の店長
ほんと、アジアの出来事にヨーロッパの話が出てくる時代なんだよな。結局、日清両国は、朝鮮半島には両国の軍を置かない、軍を出す場合はお互いに通知する、という事で決着する事になるんだ。
ちゃーろー
ちゃーろー
へぇ、それなら、李氏朝鮮は自分の領土は自分で守る、と、いう事になるわけですね。
魚屋の店長
魚屋の店長
そうなんだけど、結局、袁世凱が朝鮮政府中枢の役職を握る事になって、やっぱり清国の属国になっていくんだ。朝鮮として外国と条約を結ぶ時には、清国の同意がいる、というような状況になっていくんだな。
ちゃーろー
ちゃーろー
ふーん。李氏朝鮮としては、それが居心地がいいんですかねぇ。。。
魚屋の店長
魚屋の店長
だろうね。慣れてるしね。で、結局のこの事件の後、徐々に清国の影響が李氏朝鮮に強まっていく事になるんだけど、戦費がかさんで資金がなくなり、朝鮮国内では、汚職がはびこるんだ。国民も辟易とする事になる。
ちゃーろー
ちゃーろー
なるほどぉー。
魚屋の店長
魚屋の店長
で、一応、これで仕切り直しになったんだけど、清国は調子に乗って長崎事件、という事件を日本国内で起こす。
ちゃーろー
ちゃーろー
長崎事件?聞いた事ないっすね。なんスカそれ?

長崎事件

甲申事変の2年後の話。

全然知られていないこの事件何ですけど、中国は欧州列強、および、ロシアの脅威を排除するため、黄海に北洋艦隊という艦隊を作り上げます。

言うても、眠れる獅子。艦隊を作れる資金や労働力があるわけですね。

この艦隊が、ロシアを威嚇するため日本海を北上した後、物資を補給するために、長崎に来航します。別に日本と清国は断絶していたわけではないので、寄港する事自体はあったわけですが、通常は事前に連絡をするものですが、この時はなかった模様。

この寄港の際に、清国水兵は基本的に上陸は禁止されていたのですけど、明治政府の認可なしに一部の水兵が上陸、長崎を練り歩きます。泥酔し、乱暴を始めるわけです。

ま、今風に言えば、ずっと船の上にいたから、酒でも飲もうぜ、酒飲んだら気分が大きくなって、久しぶりにやろうぜ、って風俗店に行ったら、超有名店で、しばらく待つことになったんだけど、早くやらせろ、としびれを切らして、備品ぶっ壊して、日本の警察が捕まえた、と言う事件。

ちゃーろー
ちゃーろー
なんか長崎事件っていうとおどろおどろしいですけど、魚屋さんが説明すると、みじかな感じっていうのかな?そんな感じになりますねw
魚屋の店長
魚屋の店長
現場で起こっていることなんて、結局今と対して変わらんよ。これが歴史になると、難しい漢字を使って、格式高くなるから、なんか認識がずれるんだ。

んで、水兵が捕まるんだけど、当時は日本の寄港地って、治外法権なんですわ。日本の法律が適用されていない地域。この時点で清国にも適用されているかどうか、って調べたけど、ちょっとわからない。列強と不平等条約を結んでいるから、なし崩し的に清国にも適用されていたのかな?と思うけど、詳しい人がいたら教えて。

で、驚いたのは清国の水兵。翌日500名の清国水兵は、警察署まで行って死者までだす乱闘を起こすんです。

ちゃーろー
ちゃーろー
なんかもうむちゃくちゃですね。。。
魚屋の店長
魚屋の店長
今風に考えると、戦争になってもおかしくない行為だよね。でも多分、治外法権があることを知っていたんじゃないかな。それなら筋は清国側にあるし。
ちゃーろー
ちゃーろー
なるほど。。。当時の事情を知らないと、なんか頭に来ますよね。

最終的には、イギリスやフランスの弁護士が間に入って、当事者は、当事国で裁かれることになり、日本側が5万円、清国側が1万円を払って終わるわけです。

ちゃーろー
ちゃーろー
え?暴れたの清国なのに、金払うの日本の方が多いんですか?
魚屋の店長
魚屋の店長
不平等条約を元に考えると、日本の警察が勝手に捕まえたのは、条約違反だからなぁ。。。
魚屋の店長
魚屋の店長
まぁ、ただ、そう入っても揉め事はいいことではないから、次回から、寄港する場合は事前に連絡すること、上陸も許可がないとだめ、ということになるんだ。

これまでの近代史からいうと、こんなことがあったら、日本陸軍黙っちゃいないぜ!ってなりそうだけど、実際のところ、日本は清国にはかなわない。国力が全然違うのです。北洋艦隊に勝てる艦隊を持っていなかった。

だから好き勝手にされるわけです。

でもまぁ、この事件は日本人を怒らせます。日清戦争の遠因になったと言われる事件です。清国に舐められてたまるか。臥薪嘗胆、いつか、勝つ、となっていくんですねぇ。

ちなみに、清国は、この後も何回も長崎に寄港しています。要は、俺の艦隊スゲェだろ?お前のところ持ってないよな?あはは?って見せびらかしにくるんですよ。

日本側は臥薪嘗胆、黙っているんですけど、一回だけ清国は艦隊への立ち入りを許して中身を見せてしまうんです。そこで日本人は全てチェックするんですけど、そこで分かったこと。。。。大したことないんじゃね?って、水兵の練度やら、大砲の精度なんかが、バレバレになっちゃったんです。

ちゃーろー
ちゃーろー
しかし、なかなか韓国併合までいかないですね
魚屋の店長
魚屋の店長
とりあえず、1回目はここまで。第二回はここから約10年後になる。
ちゃーろー
ちゃーろー
10年後?結構時間かかるんですね。
魚屋の店長
魚屋の店長
なんども行っている通り、明治20年ぐらいまでは、まだ出来立てホヤホヤの政府。憲法もなければ、国会も開催されていない、選挙もない、これから日本は内政に力を入れていくんだけれども、これは直接的に関係ないからね。

ということで、1回目はこれで終わり。2回目は、日本が内政をしているときに、李氏朝鮮は何をしていたのか、ということを見てみたいと思います。近日公開です!

 

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。